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【資料】大滝詠一/ナイアガラ インタビュー記事補完 1982~1984 



NIAGARA Miscellanea(閉鎖)アーカイブから大滝詠一・インタビュー記事を補完。
shnpujournal1982年8・9月
大滝詠一・佐野元春・杉真理 NIAGARA TRIANGLE 座談会

shinpujournal1983年11月
TEA TIME TALKING●INTERVIEW/大滝詠一

shinpujournal1984年5月
NEW ALBUM『EACH TIME』いよいよリリース/大瀧詠一インタビュー

"EACH TIME"発売記念 大滝詠一クイズ


大滝詠一・佐野元春・杉真理 NIAGARA TRIANGLE 座談会
shinpujournal 1982年8・9月号
NIAGARA Miscellanea(閉鎖)アーカイブから(補完)
http://www.t3.rim.or.jp/~t_abe/niagara/



ナイアガラはまぎれもなく時代の産物だ
大滝詠一、佐野元春、杉真理の3人が、一枚のアルバムの中で共演する『ナイアガラ・トライアングル・VOL.2』が発表されたのは、今年の3月21日。共演とはいっても、シングルの「A面で恋をして」以外は、3人がそれぞれ4曲ずつ持ちより、各パートは独立した形でそのアルバムは完成されている。そして、各パートでは三者三様の持ち味が反映されていることは、御存知のとおりである。だから、異なる個性が拮抗しあいながら、はげしく火花を散らすというような華々しさはないが、共鳴しあう瞬間に生まれる色彩が爽やかに新鮮なアルバムだ。楽しく愛聴させていただいている。 最近はまた、淡い軽快なタッチもさることながら、ポップスが持続する生命力にも似た力強い余韻を残すアルバムであることに気付いた。ききこむにつれて、不思議なその余韻は、ぼくの中で深化されている。もちろんこれは、ひとりのポップス・ファンであるぼくの、個人的な印象にすぎないわけで、発表から3ヶ月近く経過しているから、反響のほうも様々な形であらわれている。このアルバムが投げかけた波紋も含めて、制作にあたってのそれぞれの思いを座談会形式で話合っていただいた。アルバム発表後に、3人が揃った雑誌での座談会は、今回がはじめてだそうだ。なお、量的にとても1回では紹介できないので、今月号と来月号にわたって2回にわけておとどけする。今月号は、制作過程に至るまでのことが中心になった。
構成・文/天辰保文
この座談会は夜9時から行なわれたが、最初に「どうも!」と明るい顔で現れたのが杉真理。そしてその直後に大瀧詠一まさに“フラリ”と登場。遅刻魔として名高い大瀧の思いの他早めの出現に杉ほか一同「どうしたんですか!?」。その直後に階段を降りてきた佐野も大瀧の顔を見とめるや「アレー!?」。その声にまたまたみんなで大笑い。多忙なミュージシャンが3人が3人とも約束の時間前に揃うという珍しい(?)状況で、対談は和気あいあいと始まった。

僕(大瀧)がふたりに選ばれたんだ

―― 『ナイアガラ・トライアングルVOL.2』が発表されて、少し時間がたって反響もある程度形としてでたわけですが、きょうは、レコーディングのエピソードとか、まあ、自由にしゃべっていただければと思います。で、まず大瀧さんにお尋ねしたいんですが、どうして杉さん、佐野さんのふたりを選んだわけですか。
大瀧 ぼくが選んだんじゃなくて、ふたりにぼくが選ばれたんです。
杉、佐野 ハッハッハッー……。
大瀧 いや、ほんとうに。もしふたりに選ばれなかったら、企画自体がほとんど意味のないものになっていただろうね。それに、おれそんなにえらい人じゃないからね(笑)。自分がかってにあの人とこの人を選んで、錬金術ふうに何かをやろうなんて思わない。アイディアを持ってて、ふたりに選ばれるようなことがあったとすればね、非常に良いものができるんじゃないかと思ったわけ。しかも、アーティストの大瀧というよりも、プロデューサーの大瀧が試されるっていうかね、それの試金石でもあったわけです。ただ、どうして彼らになったかというと、非常に有能なミュージシャンだという理由に絞られます。端的なもんです。細かく、どうのこうのっては考えなかった。
―― それを、『トライアングル』のVOL.2にするという発想は、どららが先だったんですか。
大瀧 人間が先か、『トライアングル』が先かっていうと、人間のほうが最初にあった。
考えていたのは、79年だったと思う。直接あったり、間接的にあったりっていうのは前年くらいからあった。で、『トライアングル』になるっていうのは、『ロング・ヴァケイション』を作っていた80年の夏に、突然思い浮かんだ。
―― 確か、新宿のルイードで、杉さんのステージでいきなり発表されたんでしたよね。大瀧さんと佐野さんが、突然ステージにでてきて、何の前ぶれもなく……。
大瀧 そうです。“ジャパコン”(注1)の最終日ということで、杉も佐野もでていたという意味合いであの日を選んだわけですけどね。スタッフの人も、誰も知らなかった。
大瀧 あのセンセーショナルなやりかたがよかったのかもしれない。プロデューサーとしては、ああいうやりかたのほうがうまくいったんでしょう、うん(笑)。でも、あの爆弾発表のおかげでスタッフの人をどれだけ泣かせたかわからない。
―― その発表から、制作にあたって、どんな感じになるか想像できましたか。
佐野 やはり、期待はふくらむばかりでしたね。ハートランドというぼくのバンドに、伊藤銀次がいて、銀次から大瀧さんの音楽性や人柄については、いくつかエピソードを混じえて聴かされていた。ぼく自身も高校時代にはっぴいえんどのステージをよくみていたんで、はじめてあったときでも違和感はなかったですね。写真も、ある程度昔からみていたしね。ジァンジァンなんかでは、1メートルほど前で、大瀧さんが「春よ来い」を歌っているのをみたことさえある。それに、アマチュアのときにね、あのミュージシャンはわかっているとか、あのミュージシャンは全然わかっていないとかね、ぼくらの日常会話があるんだけど、大瀧さんやはっぴいえんど周辺の人たちは、いつも意識していましたね。だから、一緒に仕事ができるというのは、ひとつのおおきな驚きでもあったけれど、違和感はなかった。そして、どんなものができるか、やってみないとわからなかったけれど、嬉しさがまず先に立っていました。
 ぼくは、いろんなところで既に言ってることなんだけど、大瀧さん、佐野くん、そしてぼく(笑)、この3人のファンだったんです。まさか一緒にできるとは思いよせんでしたね。はっぴいえんどに関しては、やはり注目してはいたけれど、同時に反発するようなものがぼくの中にあって、ぼくはこっちでいくしかないなあって気持ちも持ち続けていたんです。とくに、「外はいい天気」をきいたときには、ぼくが思ってたことを先にやられちゃった感じで…。その大瀧さんから声がかかったわけだから、驚いたのはもちろんだけど、ここで全精力を発揮しなければと、そんな気持ちでした。佐野くんとの因縁は、お互いにアマチュア時代からコンテストなんかで、知りあいだったし、注目していた。でも、一時期、音楽をやめちゃったよね。
佐野 うん、やめてた。それで、広告みてたら、杉くんのレコードの広告がでてた。あれをみて、ああ、やってるなあと思ってたんですよね。
 やめちゃったことをきいて、驚いてたんだけど、でも、いっかきっとやるんじゃないかなあと思ってた。そのうちに佐藤奈々子ちやんの曲を書いたりしているのをみて、自分でもやって欲しいなあ、いやきっとやるだろうなあと思ってた。だから、やりはじめてくれたことがまず嬉しかった。でも、こういう形で一緒にやれるとは思わなかったね。レコード会社も違うしね。とにかく、この『トライアングル』をやって、ぼくはビートルズとであったときと同じくらいおおきな感動を得ました。

バンドを組んだら3人共倒れ!?

―― やりはじめて、人柄とか印象が違ってたというようなことはありましたか。お互いにみて。
 ぼくは大瀧さんの印象が思ってたのとずいぶん違いましたね。もっと理屈っぼい人だと思ってた。こんなに感覚的な人だとは思わなかった。
佐野 ぼくも、それは多少ありましたよ。まあ、ぼくらにも見せない面というのがあるとは思うんだけど、大瀧詠一の中にひそんでいる狂気にね。もっと触れてみたい、毒に犯されてみたいと思ってた。ぼくは毒に弱いんです。官能的なものにすごく反応する体質なんですね、だから毒に触れてみたいという気持ちがすごくあった。だけど、それほどぼくらの前では毒をださなかったような感じがあるんだ。
 これから出すのかもね(笑)。
大瀧 官能のはなしをするとね、佐野元春は外に向かう官能なんだ。ぼくの官能は内に向かう。で、杉真理は官能とは無線の男なんだね。だから、ノンセクシャルな感じが杉の歌にはあるんだ(笑)。ちがうかね。
 いやあ、ぼく以上にわかってらっしゃる(笑)。
大瀧 それに、佐野は見かけと違ってとにかくひょうきんな男なんだよ。これだけ、見かけとアンバランスなコミカルさを持った人間ほちょっとおらんだろうね。逆に杉は、ひょうきんそうにみえるけど、根は真面目なんだよ。性格が、サウンドにもでてんじゃないのかね。冷たそうで、かっこよくみえる佐野元春のサウンドも、ダジャレ的な詞が出てきたりね。杉真理は茫洋とみえるけど、結構細かく考えているんだよね。ようするにさ、今回はここがいちばんおもしろいかもしれないね。もしも3人がバンドを組んでやったとしたらね、毒気にあおられてお互いに傷ついているかもしれない。だけど、ぼくはプロデューサーとして彼らと接したからね。もともと、今回の『トライアングル』は、そういう性格のものだったしね。バンドを組んでいたら、このままじゃすまなかっただろうね。お互い立ち直れなかったりして(笑)。

Vol.2はアンバランスのバランスの魅力

―― 制作の実際の作業は、どういう形で行なわれたんですか。
佐野 3人がひとつのスタジオに集まって作ったと思っている人がいるかもしれないけれど、そうじゃないんです。3人3 様のやりかたで、それぞれできあがった作品を集めたわけです。ただ、ぼくと杉くんのシングルに関して、大瀧さんがプロデュースした。もちろん、全体的なプロデュースもね。だから、ぼくらは自由にできました。
―― 前回のときも、そういう方法をとったんですか。
大瀧 そうです。あのときはミキサーまでやったけど、作ってる内容に関してどうのこうのということはなかったね。ただ、ある程度仕あがりにクロスしたものがみえたほうがいい。凄くばらばらな形よりもね。だからシングルに関してはぼくとの合意という形をとって、選曲させてもらった。
 スタジオが、ちようど大瀧さんの隣だったせいもあって、大瀧さんは必ず顔をみせに入ってくる。それで、ほんのひと言ふた言ですけど、言葉を残していく。それが、結構あとになって考えさせられるような言葉なんですよね。
佐野 おもしろかったのは、3人でほとんど同時にレコーディングしていたから、スタジオの人たちでだぶることがあるんですね。ぼくのレコーディングのときに、「いやー、きのうの大瀧さんのは疲れたよー」なんて、いろいろと情報が流れてくる(笑)。
 ぼくと大瀧さんが、隣同志だったのがよくなかったですね(笑)。それに、大瀧さんが夢の中にまででてくるようになって困った(笑)。最初にレコーディングに入るはずのぼくが、いちばんあとに入ったんで、その間、大瀧さんが夢の中にでてきてせかすんですよ。最後のほうになると、もう脅しに近くなった。
大瀧 これだもんね(笑)。
 そういうとき、たいてい佐野くんがでてきて、大丈夫だよってなぐさめてくれたりして(笑)。レコーディングをはじめて、ようやく大瀧さんが夢の中にでてこなくなった。
―― プロデューサーからみて、ミュージシャンの大瀧詠一も含めたこの3人は、どうでしたか。予想では、もう少し時間がかかるんじゃないかという声もでてましたけど。
大瀧 そうね。でも、みんなせっかちなんだよね。やりはじめると、はやくおわらせようみたいなところがあるしね。ただ、やりはじめてからことの重大さに気がついて、恐れおののいた感じもあったね。前回の『VOL.1』というのは、何が何だかわからないうちに最後の「ナイアガラ音頭」できまってしまったようなところがあった。山下達郎も伊藤銀次も、ソロ活動をはじめる前だったし、ぼくもまだ準備期間だった。今回は、佐野にしても杉にしても、ソロとして何年かやってる人だから、もちろんレベルな作品は書けるだろうし、ひとりひとりを別にしたほうがまとまったものになるんじゃないかと思っていましたね。各々に徹した形で自分の特徴を出していく。まとまってはいるけど、3人一緒にしたときにバラバラになるというアンバランスのバランスみたいなものね。そういうのになればいいなあと思っでましたね。小じんまり収縮しちゃうようなものだけは避けたかった。
『VOL.1』との継続性もあったほうがいいし、なおかつ違ったものも出なければいけないしね、その辺がプロデューサーとしては考えたところですね。
佐野 ぼくが『VOL.1』と『VOL.2』を聴いて感じることは、ポップスだとかロックだとかはね、やはりそのときの状況と符合するところがある。で、『VOL.1』がでた76年は、状況的にみて、混沌としたものが安定したものへと向かうベクトルがあったと思う。その中でできたアルバムだということ。今回のは状況的に全く逆のベクトルからできている。それがいちばんおおきなところじゃないかな。だから、今回の『VOL.2』が歴史的にとらえられるとすれば、その部分で誰かが語るんじゃないかと思う。10年後くらいにね。
大瀧 言えてるね。やりはじめで、じっくり考えると、そういう感じだったね。いまさらここで3人集まって、なんとか音頭でしめるというようなことは、82年の状況ではない。76年のことなのね。だから『VOL.1』と『VOL.2』との間に6年の歳月があるということが、大切であってね、あの時期を知っている人はついダイレクトに2枚を比較しちゃうけれども、それはあまり意味がない。
佐野 そうなんだよね。
大瀧 寸断されてもかまわないと思うのね。『VOL.1』を持ってて、『VOL.2』を買わない人がいていてもいいし、その逆でもいいわけ。ただ、持ってる人には、作品の内容もさることながら、その6年間っでいうのがさ、その人にとってもね、どういうものだったかということを考えてもらえると、凄くおもしろいんじゃないかな。


VOL.1が再び売れ始めたことの意味

―― 『VOL.1』と、今回の『VOL.2』の違いとして、今回は3人がそれぞれソロ活動である程度のキャリアがあるということがあがりましたよね。となると逆に、所属するレコード会社や事務所が違うということで障害はありませんでしたか。
佐野 ぼくらはそういうことに直接タッチしなくて済みましたけど、やはり、プロデューサーの大滝さんにはかなりあったんじゃないですか。
大滝 実現できたってことは、最終的にスタッフの人たちが非常に協力的だったってことですね。ただ、ぼくらミュージシャンをやっていて、昔ほどの自由さがなくなった。アーティストひとりひとりがパワーを持ってきているし、事務所だとか、レコード会社にしても、自分を守ることで精一杯だし、ミュージシャンの横のつながりから創作物ができでくるような、そういう自由さが昔に比べるとなくなった。だから、今回の『トライアングル』のコンセプトのひとつで、意図でもあったレコード会社間を超えてアーティストが集まってやるという形、それはファンの人たちには完璧に到達しなくてもぼくはいいと思うんだけど、少なくとも業界の人たち、ほんとうに音楽を、ロック・ミュージックとかポップ・ミュージックが好きな人たちには、こんなこともできるんだというひとつの示唆になればいいという気持ちもあったんです。
―― 『VOL.1』、『VOL.2』ときたんだから、『VOL.3』がいつかできる可能性も考えられるわけですか。
大滝 忘れた頃にしかできないでしょうね、『VOL.1』にしても、みんな忘れていたでしょう。『VOL.1』をだしたときにも、いつ『VOL.2』がでるんですかとみんなに尋ねられたことを覚えてますよ。面白い質問だねって答えてましたけどね。でも、いろいろとやっておくもんですね。何がどうなるかわかんないからね。こういう形で、『VOL.2』ができるってことなんて、ほんとうに考えもしませんでした。
―― 『VOL.1』、『VOL.2』ときたのでという単純な発想もあるけど、それ以上に『VOL.2』をきく限りでは、次へ引き継がれていく余韻、何か残されている部分があるんですよね。プロデューサーとしての大滝さんの力量という点で、暗に、次もでるよって期待を持たせるようなところがね。感じられるんですよね。
大滝 でも、継続性を持っているっていうのは、本人とか時代を超えたりしている部分が継続っていうのを非常に持っているわけであって、もしそれが機会として与えられるようだったらおろそかにはしたくないと思ってますけどね。今回に関して言えば、企画のアイディア自体はぼくのちょっとした思いつきにすぎないんだけど、あの当時、つまり『VOL.1』をだした頃は、音楽仲間が同じ事務所にいたり、同じコンサートに出演したりして、同じところにうろうろしていたわけです。そういう状況があったからできた。でも、さっき言ったように今回は状況が違う。そこで、実現させることによって、逆にそういう状況を今度はつくれないもんだろうかという気持ちが強かったですね。
 『VOL.1』が、また最近売れはじめたんですってね。
大滝 そうなんだよ。もう、新譜なみの勢いなんだよね。おばけだね、これは(笑)。廃盤になってないというだけでも驚いてるんだけどさ。レコード会社がほかに出すもんがないのかもしんないけどさ。
佐野 山下達郎をはじめとする大滝さんの周辺の人たちのヒットが、相乗作用という形で働いてるかもしれないね。実際に、大滝さんが思っているほど当時のきずなは薄くないような感じがする。ひとつの、いわゆる大滝プロデュースというものには目にみえない意図があるわけだし、まあ、今回の場合も買ってくれて、楽しんでくれているのは、大滝さんも、ナイアガラの『VOL.1』も知らないような若い世代の人たちではあるけれども、無意識に受け継がれているところは感じられる。今回改めて、それは凄いことだなあと思ったね。
大滝 そうね、周りの連中が第一線で活躍しているっていうかさ、活動しているってことがいちばん大きなプロモーションになるんだろうね。とくに今年の上半期をふり返ると、そういう印象があるね。それで、75年のあの当時を思い浮かべたりしてね。鈴木茂の『バンドワゴン』がでて、シュガー・ペイブのデビュー・アルバムがそれに続き、ナイアガラの『VOL.1』があって、細野(晴臣)氏の『トロピカル・ダンディ』、荒井(松任谷)由実の『コバルト・アワー』といったように、ひと月単位でずらずらでてきて、それが結構売れたんだよね。まあ、あの頃はだいたい、それを作っているスタッフ、ミュージシャンがクロスしていたせいもあったんだろうけど、それを思いだしたね。


アーティストが暴力的にならざるを得ない現状

―― 『トライアングルVOL.2』から時間もかなりたってますよね。それで、それぞれの活動の中でこれから、何かをもたらしてくれるようなものがあれば、敢えていただけませんか。少し結論じみてしまいますけど。
 細かいところでは沢山あります。たとえば、人に曲を書くソングライターとしての自分と、シンガーとしての自分とがあって、そこには柵があったんですが、今回、『トライアングル』をやったことでその柵が少し広がったような気がする。そのかわりに、それまで木でできていた柵が、鉄条網になったようなところもある。そういうように細かな自分に対する影響や刺激はあるんですけど、きかれるたびに答えが違ったりもしている(笑)。ということは、それだけいっばいあるんだと思いますね。ただ、ほんとうに自分にどういう影響を与えたかというと、ひょっとするとぼくも気がついてないんじゃないかと思います。言葉で説明できる段階じゃない。たぶん、毒はこれからきいてくると思いますね。まだ、どんな毒なのかぼくにはわからないです。根本の毒素みたいなものはね。いまは潜伏期間じゃないかと思っています。それがいつでてくるかわからないけれども、即効性の毒じゃなかったことは確かですね。
佐野 ぼくはいま、『トライアングル』を、ひとつのコミュニケイションの形としてとらえて考えているんだけど、ひとりひとり自分の表現の場を持った者同士が集まった。それも杉くんも上を向き、ぼくも上を向いている。大滝さんも上を向いている。そういう部分でぶっかりあったとき、それが1+1+1=3という結果で終るんじゃなくて、それ以上の結果を生みだすという考えかたがあると思うんですけど、改めてそれを、『トライアングル』をとおして認識しました。だからぼくは、逆に次からはぼくのほうから別の人に、そういう結びつきを求めていくんじゃないかと思っています。
―― 先日、山下久美子さんの渋谷公会堂でのコンサートに出演しましたよね。それも、そういう姿勢のあらわれとしてとれるわけですか。
佐野 そうです。あのときは事務所のほうでは、でないはうがいいと、むしろ止められていたくらいです。でも、ステージの協で見ていて興奮して止められなかった。ふり切ってとぴだしてしまったんです。
大滝 そこで、ひとつ言えるのはね。その場合でも一緒なんだけど、みてて楽しいとか、きいてる人がこうなればいいなあと思ってるようなことを阻害する現状があるんだよね。実際にはね。それをスタッフ側から変えていくのは、いまはまず無理だと思う。アーティストが自分でやんなきゃいけないと思ったときには、全部ふりきってでもやらなきゃいけない。そうじゃないと現状は変えられないみたいだね。
佐野 そうだね。アーティストが率先してやらないとね。どうしょうもない。
大滝 あとで、ああいうことをやっておけばよかったなんて思わないで済むように、悔いのないようにやんなきゃいけないんだよ。今回の『トライアングル』にしても、妙な使命感が天から下ってきたようなところが途中からあったね。これを、ひとりひとりのところへ行ってね、どうしょうかなんていってるとできなくなっちゃうんじゃないかと思ったもんね。反対する奴もきっとでてくるわけで、いざやろうとしたときには、そいつらの力のほうが強くて、自分ががんじがらめになってたりするようなことがあるんじゃないかと思ったりするわけよ。だから、ここはもう発表してしまってからじゃないと出来ないだろうと思ったしね。結構切っぱつまってたんだよ、正直言うと。
 いちかばちかって気分になんないと、できないところがあるよね。勇気がいるようなことってね。
佐野 だってぼくらは、ポップ・ミュージックをつくってるわけで、10代のときにぼくはすごく感動して、それと同じようにきいてくれる人たちにも感動を与えてあげることができればいいなあと、それがいつも頑の中にある。そう考える人はぼくたちだけじゃなくてね。もっと沢山いるはずなんだよね。なんだきみもぼくと同じことを与えてたんじゃないかってね。そういう人たちが沢山でてくれると思うのね。ぼくは楽観的なりうですから。
―― そういうはなしをきいてると、たとえばどうしてお互いに曲を提供しあったり、共演したりしないんだろうかとか、疑問もあったわけですけど、それは昔に比べて機構的に硬直しているということですか。
大滝 昔に比べると、かなりがんじからめになっちゃってるね。さっきいったように、佐野のような場合でも、それを打破するにはいまは暴力的にならざるを得ないような現状ですからね。
 ミュージシャンのほうも、そういった現状になれてしまってるしね。
佐野 あらかじめ、そういう状態から出発している人も多いからね。
 あいつとやりたいけど、無理だなあって具合にね。先にそういう意識が働いちゃうんだよね。でも、何がいちばん大事かってことを考えるとね、どういう風にいい音楽、楽しいものをつくるかってことだから、もう真理は簡単なんですよね。ミュージシャンは、やりたいようにやるしかない。それで、後から機構を変えていくというような気持ちでいくしかない。変なはなしだけど、『トライアングル』のはなしをきいたときにね、機構的に文句がでるようだったら、そこを離れてもいいやという気持ちさえあった。まあ、そこまではいかなくても、どうにかしようとね。いちばんやりたいことは、『トライアングル』だったわけですからね。これからも、そういう問題はでてくるだろう。でも、いちばんいいのは、頭を真っ白の状態にしておくこと、そこで考えることですよね。
佐野 方法としては、ぼくはふたつあると思うんだよね。ひとつは、同じような考えかたを持った人たちが集まるということ、もうひとつは個人が新しい人たちと結びついて輪を広げていくというやりかたです。そういう作業が街のあちこちで行なわれれば、状況はきっとよくなってくると思う。だけど、ひとつだけ言っておきたいのは、日本にロック・ジャーナリズムみたいなものかあるとしたら、ロック・ジャーナリズム自体も、やっばり変化していかないといけないと思う。ぼくらもこんなに変化していってるんだし。
大滝 そのとおりだ。


長い目で注目していってほしいね

佐野 まあ、こう考える人がいると思うんだよね。ぼくらミュージシャンがいてロック・ジャーナリズムが成立しているんだと。そういうような論法でいくと、ぼくらの質が高まらないとロック・ジャーナリズムの質も高まらないんだと考える人もいるけれども、やはりお互いの、かたい言葉でいえば、切磋琢磨だと思うんだよ。
大滝 だから、それは間違いなんだよ。ロック・ジャーナリズムが面白くないのは、音楽をやってる奴が面白くないからだというそういうジャーナリズム側が優位にたったロックを考える。そうじゃないんだ。もし面白くないんだったら、面白くできるようなアイディアをだすべきで、そのためにジャーナリズムは存在すると思うわけ。いまや、レコード会社も対応に遅れてる。レコードが売れなくなってるのは、ミュージシャンが悪くなってるわけじゃない。いろんなところで対応が遅れている。売れてる人は売れてるからね。たとえば、『トライアングル』に関しても、どうしてやるのかっていう人が結構多かったわけ。でも、きいてる側の人のほうが、いまは進んでるんだよ。「面白いじゃないか」ってとびついてくれたじゃない。だから、今回の『トライアングル』からレコード会社全体が、学んで欲しいところだよね。そこから、時代のある種の情報を読みとって欲しいなと思ってるよね。
佐野 たとえば、日比谷で10円コンサートをやってた頃をぼくは見聞きしていて、当時はたとえばロック・ミュージシャンたちが、嘘のことやるとお客さんたちは指をさして、「嘘だ!」と言ったわけだよね。だけど、いまは違う。新しい世代がでてきてるんだよ。エンタテイメントになれてる世代がね。RCサクセションが、ああいう演出をする。それを、エインタテイメントとして受けとめながら楽しめる術を、無意識に備えてるんだ。
大滝 だいたいショー・ビジネスの基本だよね、それは。映画にしたって、放送にしたってさ。どうして、あんなに陰質な形でしか日本では芸能が発達しなかったかというさ、いまだにいうじゃない。涙がでていないとどうのこうのってさ。嘘か本当かさ、嘘に決まってるじゃない。それをわざわざいわなきゃ納得しないというのは非常に可笑しかったわけで、そうでないお客さんが少しずつふえているけどもまだ根は深いみたいね。大滝さんは海へ行くんですかとかさ、カナリア諸島へ行ったことがありますかとかさ、これじゃあまるで、吉田義男に切腹したことがありますかときいてるようなもんでね。そんなことをきく人がいますか。決まったことをいちいち言わなきゃなんないというのが、馬鹿馬鹿しいんだよね。
 そうだね。映画をみるときはそういうこといわないんだけどね。音楽に関してはそんなこといわれるもんね。
大滝 どうしてだろうね。レコーディングにしたってさ、下手なところを何度も直せていいですね、なんていわれることがあるけどさ、きくときに下手なところを何度もきかされるよりは、上手いのを何度もきいたほうがいいんじゃないのかね。それに、まるっきり下手なのは、どうしても上手くはできないよ。そういうもんなのね。
佐野 やっばり、了解点をこれからどんどんふやしていくってことが、ひとつの課題になってくるわけですね。で、その了解点を得るためにはぼくらがもちろんトライを続けていくわけだけれども、これはもうぼくらだけのトライでは済まない問題だしね。そういうことを考えながらアメリカのロックン・ロールの歴史をみているとね、それなりに成熟していてうらやましいと思うときがありますね。たとえば、ブルース・スプリングスティーンが、ワーキング・クラスの人たちに完璧に支持されているような現状。これは、ジョン・レノンが、『イマジン』の中でワーキング・クラスのヒーローになるのは楽じゃないって風に歌ってたけど、あの頃とは、やはり全然違っていて成熟しているんだなあって思う。
大滝 それと、結論めいちゃうかもしんないけどね、たとえば佐野元春と杉真理がね。それはぼくも含めてだけど、ナイアガラという現在の鏡に照らしあわせてやっているわけでしょう。そうすると、佐野がいま言ってることとか、杉が言ってることっていうのは、自分の中でもナイアガラの面に照らして言える部分だけを無意識に言ってるわけ。ぼくもそうだけどね。そうするとね、返ってくることっで決まってるんだよね。ストリート・ロッカーとしてのワイルドさはどこへいったとかね……。でも、人間って同時に八方を向くことはできない。いろいろな面があるわけで、今回はこれでいってみましだってことなんだけど、その度に約束事をもう一度言い直さないといけない。ソロの部分は、ソロの部分であるわけだし、まだこれからもやっていくわけだから、そういう部分で何がでてくるかっていうことを注目して欲しいし、長い目でみて欲しい気がしますよね。
 そういった意味では、今回のナイアガラでの仕事で印象に残ってるのはね、いろんなところでとりあげられてね、3人 3様に対するその人の見方みたいなものが違っていたりして、同じことでも脚色してあるから、それを読んで、逆にぼくには参考になったりしたよね。それで、まあ、どういう成果があってどんな意味がありましたかってきかれると、いまは用意した答えをだすしかないところもある。それだけ、何があるのかこれからだって気がするんですよね。
大滝 『VOL.1』のときはね、記念碑的な意味があった。歴史に残しておけるものはひとつもないからやろうじゃないかというような性格も含んでいた。だから、内容がどうのこうのとは、一切考えなかった。だからああいうものになったわけで、『VOL.2』に関して言えば、やることによってこれからどうなるんだろうかというところが強い。だから、「どうだったんですか」っていわれるよりも、これから毎年きいてみてもらいたい。ひょっとして、あのときはああだったんだってようなことが、いくつかでてくるとすれば、やった意味があるんじゃないかと思います。ぼくも、ほとんどわかっていないし、ますますわからないところが多くなっている。最終的には、今後何をやっていくか、何をつくっていくかというような答えをするしかないんだよね。
佐野、杉 そうだね。やるしかない(笑)。





TEA TIME TALKING●INTERVIEW/大滝詠一
shinpujournal 1983/11
NIAGARA Miscellanea(閉鎖)アーカイブから(補完)
http://www.t3.rim.or.jp/~t_abe/niagara/

強烈な個性を持ってる歌手に作るときは、曲に目鼻がつけやすい。ところが自分の歌になるとどうもハッキリしないのね、顔立ちが(笑)。縦横無尽に音楽界を駆ける完全主義者ニューアルバムへの期待が高まる中…INTERVIEW ●大滝詠一

―― 当初、7月21日に出ると言われていた(笑)LPか発売延期になりましたね。
「いやぁ、それを目標にガンばってたんです(笑)。1月の中旬から、ほとんど毎日のようにスタジオに入ってたんですが、途中で止まっちゃった(笑)」
―― どうしてなんですか。ファンの人たちも、その真相をアーティストの口からハッキリ聞きたいと思うんです。
「大きく言うと、ぼくの側の理由と、作詞の松本(隆)の側の理由と両方あって……。とにかくね、たりない感じがしたの。曲中心に10数曲作っていったんだけど、何かたりないなという感じが一瞬働いたの。そしたら、ちようど同時に、松本も詰って……。5曲ほど作業をすすめたところで、ふたりとも止まった。ボーカルも入れたんだけど……」
―― 松本さんは何が詰ったという話をしてましたか。
「ひとつは長いというのがあって。曲が。アップテンポで5分近い曲もあった。1曲1曲にストーリー性というか、物語があって、1曲ごとに状況設定がちかうものを出していったんだけど、物語ってそんなに数多くあるわけじゃないから、5曲も書けぼ手詰りになるよね。その物語をふくらませていくための背景としてのサウンドも、同じパターンのものは出てこないようにちがうものを作っていって、ハタと止まってしまった」
―― 松本さんは、歌謡曲の作詞家として、アイドルの作品を量産している人ですよね。その人がよどんじゃうというのは、ちょっと考えにくいんだけど。
「松本と一緒にやるときは、はっぴいえんどの時代から、ひとつの共同作業なんだ。本人は、松田聖子も大滝詠一も変わらないと言ってるけどね(笑)」
―― 大滝さんも、松田聖子や森進一、薬師丸ひろ子の作曲かあって、その間に「イエロー・サブマリン音頭」なんてのもあったけど(笑)。
「そうそう。それを強調してほしい(笑)」
―― 人に曲を作るときと自分に作るときでは、ちがうんですか。
「うん、ちかうみたいね。自分のは、めりはりがないものね。だから松本も詞をつけにくいかなという気はする」
―― どういう意味でめりはりが。
「誰に書くかということは、すごく大きな要素だと思うの。相手があって、作品かできていく部分が大きい。強烈な個性を持ってる歌手に作るときは、曲に目鼻がつけやすい」
―― 相手の声質、声域、タレントとしてのイメージだとかのこと?
「そう。歌なんですよ。ぼくらサウンド人間だから、サウンドが伝えるものの大きさを知ってる。そのうえに立っての歌ということなんだけど……」
―― もう少し具体的に言ってくれます?
「ぼくが誰かに曲を作るときは、歌手の資料を集めるんです。ラジオ、テレビ、雑誌を調べる。ラジオで話してることからひろってくることが多いですよ。だから相手が派手な活動をしている人ほど目鼻がつけやすい。ところが自分の歌になると、どうもハッキリしないのよ、顔立ちが(笑)」
―― 自分のことがいちばん見えにくいわけですか。自分にいちばん近いアーティストなのにね。
「そのはずだし、自分のファンだと思ってたんだけど、歌手として、いまいち目鼻がない(笑)。それも止まった理由のひとつかな。以前から、ストーリー性を排した、パロディ・タイプの曲を自分でうたうと、アクターとしてなりきれない自分を感じてきた。だから、“ナイアガラ音頭”では布谷文夫にうたってもらったり、(デビュー前の)ラッツ&スターでパロディ・ソングをやったりしてきた。そういうのは成功してきたんです」
―― でも大ヒットした『ロング・バケーション』では、大滝詠一のアーティスト・イメージが生まれたと思うんです。
「そうですね。歌手としての自分を意識するようになった」
―― それは何かきっかけがあったの。
「はっぴいえんどにいたころから歌には自信があったの。ところが、うまいと言われたことがなくて(笑)。どの雑誌を見ても、一度もうまいと書かれたことがない(笑)、自慢じゃないけど……。ほめるときでも、決してうまくはないけど……とはじまるんだ(笑)。『ロング・バケーション』を出したときも、歌はほめられなくて、フィル・スペクター・サウンドのことしか書いてない(笑)。昔は、レコーディングをひとりでやってたから、歌を入れるとボーカルのフェーダーを動かさなかったの、めんどくさいから。そのまま演奏を決めていくと、声がだんだん沈んで埋まるような作品になった。『ロング・バケーション』ではそういう技術的な未熟さがなくなった」
―― 『ロング・バケーション』の成功がプレッシャーになったことは?
「どうかなあ。ぼくはないと思うけど。それは次のLPが出て、みんなどう感じるかで判断されることだろうしね。ぼくのボーカルは、はっぴいえんどのころからあんまり変わってなくて、そのときどき、表現しようと思うテーマか変わってきただけ、というところがある。で、どういう世界をうたっていくかというところが抜け切れなかった」
―― 中途半端な形で出すよりは、納得できるものを出したかった?
「それがいちばん大きい」
―― 延期になってファンが落胆したりとかレコード会社があわてたりとか……。そのへんプロデューサーとしての大瀧詠一としてはどう考えて……。
「自分のことは、わからないものですね(笑)。暴動が起きなかったところを見れば、みなさん納得してくれたんじゃないですか(笑)。ぼくのようにライブをほとんどやらず、レコーディング・アーティストとしての比重が大きい活動をしている人間にとっては、ハンパな形で一枚レコード出すと、大きく響いてくるんです。ぼくみたいなタイプの人が少ないから、延期なんていうと目立つけどね」
―― アーティスト・サイドに立つと、原則的にはそのとおりですね。
「アーティスト・サイドに立ったものをやりたいからこそ、自分でプライベート・レーベルを作ってるわけ。アーティスト・サイドに立たないものだったら、なにもプライベート・レーベルを作る必要なんかないわけ。アーティスト・サイドに立ったプロモーションとか営業がありうるんじゃないかというのかナイアガラの基本的な発想なんだ.その点はわかってほしい。ぼくのレコードが出なかったから倒産したレコード店も、さいわいにして、なかったようだし(笑)。ぼくのレコードが出ないことが問題になるというのは、レコード業界がいかに痩せていて不況かということの証明だと思うね」
―― ま、その結果、延期になったわけですが、その後の進行状態は?
「9月のあたまから、もう一回オケ録りからはじめるつもりです。4~5曲新たに。夏にやり残したものをやりなおすだけじゃ、奮起の材料にならないしね」
―― 曲はもうできてる?
「いや、まだ(笑)。といっても遊んでるわけじゃなくて、準備期間が長いと思うんです。最終的にいつの時点で形にまとめるかという問題だけであって」
―― 溶鉱炉にメロディが溶けてるのを、ひっぱり出してくるようなもの?
「いつピックアップするかという日付の問題なんです(笑)」
―― じゃ、いまの段階でこういうLPになりそうだというのは言えない?
「結局、『ロング・バケーション』の延長線上にあることは間違いないです.あの世界を期待してる人には、両手をあげてバンサイしてもらえるようなアルバムにはなると思いますよ。タイトルも『ロング・バケーションVol.2』にしたりして(笑)、いや冗談」
―― 『ナイアガラ・トライアングルVol.2』以降にやった仕事は、森進一の「冬のリビエラ」と薬師丸ひろ子の「探偵物語」と金沢明子の「イエロー・サブマリン音頭」ですか。
「金沢明子の前に角川博のがある。テレビでやっただけで、レコードにはならなかったけど、“ウサギ温泉音頭”っていうの。これで自信をつけて“イエロー・サブマリン音頭”へなだれこんだ(笑)。宇宙に届くサウンドにすると宣伝しまくってたくらい」
―― 金沢明子は、大滝さんとやるからにはポップス調だと思って意気ごんでレコーディングに来たそうですね。
「ヒートルズをポップスぽくうたえると思ってよろこんで来たらしいのね。いつも民謡のレッテルを貼られているから、新味を出したいと、レコードも聞きこんできたそうで、気の毒なことしちゃったね」
―― その企画は大滝さんから?
「もともとはレコード会社の企画だった。角川博のディレクターも、金沢明子のディレクターも“ナイアガラ音頭”を聞いて、ぼくに白羽の矢を立てたんだって。いろんな仕事をやっとくもんだね(笑)。“ナイアガラ音頭”を作ったとき、ビクターから金沢明子でシングルを出したいという話があったの、実は。でもナイアガラでは布谷文夫で出すつもりだったから、その企画は実現しなかった。彼女とはそんな因縁ばなしもあるんですよ」
―― 次に森進一をやったのね。
「最初CMに使う依頓があったとき、サッチモ(ルイ・アームストロング)のようなものがやりたかったの。スイング調にして……。基本のテーマが“男の気持”だったんだけど、これがジャズに合わないの。しかもCMが武田鉄矢と倍賞千恵子でしょ。この人たちにもジャズは合わないんだよ(笑)。それで悩んじゃって、先に歌詞を作ってもらったら、松本があんな詞を書いてきたので、いよいよジャズにならない(笑)。演歌なの。“襟裳岬”の世界でね(笑)。でも森進一としては、かなりポップスだと思ってたらしいのね」
―― 歌唱指導もしたの?
「立ち合っただけ.歌唱指導できるほどうまくないからさ。キバリたりないところをもっとキパッテと言っただけ(笑)」
―― それで薬師丸ひろ子を。
「ぼくのLPのレコーディングが佳境に入ったころに、同じメンバーでレコーディングしたの。いつもの曲とキーがちがうから、カンのいいミュージシャンは、他人の曲だと気付いたみたいだけどね」
―― 仕事をしてみてどうでした。
「ラジオで声を聞いたときに、感情の起伏の大きい人だなと思って、それか歌にも素直に出ればいいと……。歌を入れるときに歌手の人に細かく言うのは好きじゃないので、できるだけ言わないようにして、遠まわしにイメージを伝えたりすることはあるけど……。映画ではすごく目立つところに使ってくれてた」
―― それからラッツ&スターの「Tシャツに口紅」の作曲とLPのプロデュースもやったんですね。
「うん。コロムビア時代末期のナイアガラ・レーベルからデビューしそこなった人たちなんですよ、彼らは(笑)。それが幸運だったんですけど(笑)、幸運なデビューをして不幸な2年目を送りましたけど(笑)。そのうちどこかで出逢うだろうというのは、暗黙の了解みたいなものだったんです.彼らはシングル・スターであって、しかもバンドとしてもそこそこのLPを作ってきてる。だから両者をわけて考えた。シングルでは、森進一でやったことを進めた形で作ってみた。LPではコンセプトを作らず、作品本位で曲を選んでいった。LPではぼくは曲を作ってなくて、曲の並べ方とか、ミックス・ダウンの最終的なことをまかせてもらった。彼らが9割以上作ったのをまとめる役割だった。その意味では『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』の作り方に近いものだった」
―― 7月に西武球場の『スーパー・フェス’83』で、ラッツ&スターと共演しましたね。
「LPをプロデュースしてたのが縁で出たんです。それと,サザンオールスターズとかかわりを残してみたかったという気持もあった。これをのがすとライブは当分できそうになかったこともあったし……」
―― そういえぼ、ライブをあんまりやらないですね.
「もともと得意なほうではないんだよね.サザンオールスターズやラッツ&スターのステージを見てるとエンターテインメントとは何かというのが如実に現われてると思う。そういうのは、彼らにまかせておけばいいと思うんですよ」
―― そこでレコーディングに専念して、いいLPを1日も早く作ろうと。
「アハハハハ。そうしたいです」



NEW ALBUM『EACH TIME』いよいよリリース/大瀧詠一インタビュー
shinpujournal 1984/05
NIAGARA Miscellanea(閉鎖)アーカイブから(補完)
http://www.t3.rim.or.jp/~t_abe/niagara/

NEW ALBUM『EACH TIME』いよいよリリース。大瀧詠一、僕の名前もコンセプトも要らない。その“歌”こそ全てなんだ。

あの『ア・ロング・バケーション』から3年。いよいよ発表される大滝詠一のニュー・アルバム『EACH TIME』。今、僕はこのアルバムを何度も繰り返し聞きながら、今年1年間、あと何回ぐらい『EACH TIME』をターンテーブルに乗せるだろうかと考えている。 アルバム・タイトルそのままに、いつでも気軽にスーッと付き合えそうな親しみやすさ。でも、聞くたびに新しい発見があって、音の玉手箱的なところは前回と同じ。スピーカーの前で意識を集中していると、2日前には聞こえてこなかった音を発見したりする。ウォークマンに詰め込んで、鼻歌交じりに街を闊歩するときには、街の風景と『EACH TIME』が絶妙のコンビネーションを見せる。 まさに『EACH TIME』。『EACH TIME』に関して、誰からお話を伺うのが一番ステキだろうか。もちろん、大滝詠一さんご本人にお話を伺うのが一番ステキだ。僕の目の前には、大仕事を終えて晴れ晴れとした表情の彼がいる。それではさっそく、大滝師匠のレコーディングお疲れ様でしたインタビューをスタートしちゃおう。

―― 今度のアルバムなんですが、まずタイトルをなぜ『EACH TIME』にしたかといったお話からお願いします。
「今回の場合は、ほんとにアルバム・タイトルというのは何でも良かったんです。これからは『ナイアガラ1』とか『2』とかってしようと思ったくらいでね。もう、どうでも良くなっちゃったの。曲が単体として存在してればもういいって感じで。あくまでも単体が横に配列されている、というようなものにしたかったんです。だから、それを総称する言葉って考えにくくなったんだね」
 ―― それで最終的に『EACH TIME』に落ちついたというのは…。
「たまたまですね。あんまり意味がないですけどね。75年から79年までの5年間はコンセプト・アルバムを作ってたんです。先にアルバム・タイトルが決ってて、曲名も決ってて、それから曲を作る、みたいなやり方をしてたんだけど80年に入ってこの5年間というのは、とりあえす曲を1曲すつ仕上げていこうというやり方をつめて来たの。グループでまとまったものというよりもね」
 ―― 今回はシングル・カットというのはないんですか。
「シングルは今回は無いんです。17センチというのはね。でも全曲を30センチのシングルしました。それを4月1日にボックスで出します」
 ―― それをいくらにするんですか。
「ええと(笑)、1枚1000円ですから5000円です。」
 ―― 何か違いはあるんですか。
「もちろん音はLPに比較するといいですよ。レベルも非常に大きく取れるし。だから、今度30センチ・シングルでも聴いてもらうと分かると思うんですけど、曲によっては印象が凄く違うんですよ。その辺も意識して作ったんですけどね。アップ・テンポの曲とかは迫力が出るんです。静かな曲はあまり変りませんけどね」
 ―― 先はど“LPのコンセプトというより単体としての曲”というお話がありましたけど。
「ええ。その意味あいでいくと、『SINGLE VOX』というのは実に企画にマッチしてるっていうか、つまり、コンセプトからだんだん離れていくと、結局は単体になっていく、というね。その事の形の表われですね。」
 ―― 最近は曲数の少ないミニLPとかもよく目にしますけど、そういった物は考えなかったわけですか。
「うーん。別に考えなかったですね。LPというのは“ロング・プレイ”ですから、なるべく長い方がいいと思いますね」
―― この『EACH TIME』はほとんどの人が『ア・ロング・バケーション』を聴いているという事を頭に入れて作ったんですか。
「もちろんそれもありますけど、どちらかというと、これを聴いてもらってから前のアルバムを聴いてもらう事を想定しながら作りました。だから、さっき言った“コンセプトから離れて”というのはアルバムの流れというのも含めての事でね。単体とかって事になると、前作からの流れとかっていうのも一つ一つ断ち切って考えていかなきゃいけないでしょ」。
 ―― ウォークマンで聴いてもらう事とかは考えたんですか。
「もちろん考えましたよ。ウォークマンで聴くと、スピーカーでは埋ってるものが良く聴こえる、とかってありますからね。音を左右に分けたヤツとかね」
 ―― 効果音が右のスピーカーから左のスピーカーへ流れていくような曲もありますけど、あの曲がAMラジオでかかる時の事とかも考慮してあるんですか。
「出来るだけ出るようにしたんですけど、ステレオとしてのバランスを崩さない限界をやったつもりなんだなあ。もっとAMラジオの事とか考えるなら、本当はモノ・ミックスしたりしないと最終的な自分の世界には近づかないんですけどね」
 ―― A面の最初の『魔法の瞳』はイントロなしでの声がワーッと出て来ますけど。
「出て来ますねぇ(笑)。本当はストリングスを仰々しくつけて、なかなか始まらなくて、キレイキレイなイメージから急にハード・ロックみたいなのが始まる、みたいなのが基本のアイデアだったんです。暫定案ですな、あれは。ゆっくりしたもので始まるであろうところからアップ・テンポってアイデアは『ア・ロング・バケーション』終った時に、次にはそうしようと考えた簡単なアイデア」
 ―― でも、今度のアルバムは何度も何度も聴いてメロデイ・ラインを覚えるに従って魅力的になりよすね。
「ああ。それは曲が地味なせいじゃないですか(笑)。歌ってみました?」
 ―― まだです。
「聴く段階から今夜は歌う段階になると新たな発見があるのではないかという想像があるんですけど」
 ―― 『EACH TIME』もカラオケを作るんですか。
「いや。今回はね。SEとかあって、カラオケを出す事はかなりの意味あいにおいて手の内を見せる事になるので、出さない事にしました。ソフトの保護です(笑)。」
 ―― 「恋のナックルポール」という曲のバッドの音が凄く快感なんですけど、あの“コーン”という音はどうやって作ったんですか。
「最初の“コーン”ですか。2回目の方ですか」
 ―― 最初の方です。
「あれは“Baseball Crazy(野球狂の詩)”のウッド・ブロックをそのまま使っただけです。2度目のは『ゴー・ゴー・ナイアガラ』というアルバムのイントロのです。今回のアルバムは旧譜の音が一杯入ってるんで、以前からのナイアガラのファンの方はそんな楽しみ方も出来るんじゃないでしょうか」
―― そもそもアルバムを作り始めた時には重い曲が多過ぎたので後から違う傾向の曲を書き足したというウラ話は本当ですか。
「重過ぎるっていうか、長い曲が多かったんですね。それで長い曲にドラマ性を持たせるとなると、喜劇より悲劇の方が書きやすいわけで、全体的に暗いイメージのアルバムになりそうだったんです。曲も明るい曲などを書き足したりしながら、バランスを取って、こういう結果になったんですけどね」
 ―― 一度作って発売延期になりましたよね。その時も暗めだったんですか。
「ちょっと暗めでしたね」
 ―― スタジオにいた時間というのは前作に較べてどうですか。
「ええと、3倍か4倍は掛かってるんじゃないですか。今回は後半で異常に盛り上ったんですよ。最後のミックス・ダウンなんて空中に飛び散るんじゃないかという位に、いやー、凄かった。連続20時間のミキシングとかやっちゃいましたからね。こんなにミックス・ダウンが楽しかったの初めてですよ。2週間ぐらいぶっ続けでミックス・ダウンやって、それで乗っちゃってね。ぜんぜん関係ない普の物まで引っ張り出してミックスし直しちゃって。もう止らないの」
 ―― うわーっ(笑)。スタジオの作業とかの細かい事を知らない僕達が「何で大滝さんはあんなに長い間スタジオに居るんだろう」と考えた場合、まず思うのは「大滝さんのレコードは音がたくさん詰っているから」という事なんですけど、本当のところはどうですか。
「う~ん。スタジオが好きなんですよ。まずそれが第1ですね。どれだけスタジオにいても飽きないんです。あと、技術的にプロじゃないんで、いろいろな意味あいにおいて時間がかかるんです。まあ、格好良く言っちゃえば“自分の探してる音を求めて何時間摸索”とかって事なんだろうけど…。アマチュアなんですよ。時間内に出来ないっていうのはね」
 ―― でも、普通の人が締切のために途中で諦めるところを大滝さんは絶村に諦めないんじゃないですか。
「ああ。僕の場合は締切ないですからね。結局、誰に頼まれているわけでもないという風に思ってやってますんで(笑)」
 ―― 今度のアルバムで特に時間を掛けた部分とかは、やっばり企業秘密なんですか。
「いやあ、だからボーカルのコンディションですよ。長い間歌っでいるでしよ。6月に歌ったりとか11月に歌ったりとか、1月に歌ったりとかするでしょ。それを同じような情況に持っていかなければ駄目だから、“今日はよそう”とか“もう少し時期を待とう”とか、ただ単にそういうのが多かっただけですよ」
 ―― 夏の曲を夏にレコーデイングしたとかはないんですか。
「ないんです。ボーカルだけ20チャンネル使ったものなんて6ヶ月間の声が入ってるんですからね、1曲の中に。ああ、この辺は6月だな、とか、自分では全部分かりますけどね。ああ、1月だ、とか。もしお分かりの方には商品を差し上げます(笑)」
 ―― 今回は曲順というのはどうですか。
「これは最後の最後まで悩みましたね。でも曲順は自信あります。曲順だけは自信あるんです。ミックスしていくとねえ、作品が想像より良くなっちゃうんですよ。ミックスする前と後じゃね。だから最初はこの曲をA(3)にしようとか思ってても、途中で考えが変っちゃうの。最後の曲が出来るまでそれが続いてね」
―― ところで大滝さんはたまにしかコンサートをなさいませんけど、ステージというのはどうですか。スタジオで歌う時というのはステージの事を考えないんですか。
「ああ、まったく考えた事ないですね。ほんとにあの、ステージやるの嫌いで…。もう無いと思いよすよ」
 ―― 昨年の夏の西武球場が最後ですか。
「僕はそのつもりでやりましたけどね。だから、本当は野外とかって形ではやりたくなかったんですけどね。ま、最後だごから何でもいいか、みたいな気になってやりましたね。もちろん、そうは言っても、またやる事もあるかも知れませんけどね。ほんと、あれは自信ないですよ。あの、レコーディングで発揮してる力との距離が縮まっていけばいいんだけど、だんだん離れていってしまってるから」
 ―― ヴォーカルというのがその日のコンディションに左右されるものだからですか。
「う~ん。特に歌は自信ないですよ。駄目です。もしレコーディングを100点としたならライヴで10点も出した事ないんじゃないかなあ。もう無いものと思って下さい(笑)。その分、レコードでやってるんだからカンペンして下さいって感じですけどねえ」
 ―― 僕達なんかの感覚でいうと、単に大滝さんをナマで見たい、とかって単純な事なんですけどね。
「だから、まだそういう事を言われるんだったら、まだレコードの完成度が低い、と。例えば”もう、いい。観たくもない”と言われるところまでちょっと、レコーディングを追求していかなきやと思ってますけど(笑)」
 ―― でも、いいレコードが出来ればステージを見たいと思うのが自然じゃないですか。
「そうですかねえ。僕はいいレコードが出来れば出来るだけステージをやりたくないと思いますね、だんだん(笑)。だって、ステージっていうのはショーでしよ。だからショーに持っていくまではエンターティナーでなきゃ駄目なわけでしょ。そこまで自信はないですよ。レコードの音盤上でのエンターテイナーなら出来ますよ。だから、もしステージやるなら何人も自分がいないと駄目ですよ。同時多発的に自分が出ないからなあ。それがイライラしちゃうんだよね」
 ―― ビデオはどうですか。映像と音楽のドッキングというのは…。
「コンサートと同じく駄目ですね。ああいうのはマイケル・ジャクソンとかそういうエンターテイナーに任せておけばいいんですよ。そういうの得意な人に(笑)。そんなにたくさん能力持ってる人なんていないですよ。それはあれだな、不得意なのをやらせて失敗するのを見ようという魂胆でしょ?そんなこたぁないか(笑)」
 ―― 単に”ファンだから婆を見たい”という…。
「信仰ですね、そうなると。もちろんその気持ちは分かるんですけどね。でも、僕が理想としているのは、借りたやつでもいいからレコードが横にあってね、それで歌かなんか毎日口づさんでて、楽しい時とか悲しい時にふとその歌が出てきて、それで友達に“あら、それ大滝詠一の歌ね”とか言われて、“そお”とか何とか言ってもらえるっていうね(笑)。それが理想なんだなあ」
 ―― ええ。
「別に“誰の”とかって所有形じゃなくてさ、その歌を実際に体験している瞬間とかさ、そういうものが現実で真実だと思うわけ。それが“誰の”とか“何とかの”ってなると、それが終ってる状態って気がするの」
 ―― それから先は確認というか…。
「うん。その確認作業っていうのに時間を使うんだったら、体験する作業に時間を使った方が有意義じゃないかなあと思うわけ」
 ―― レコードを買うとかって作業なしに音楽を聴ける場所って有りますよね。ラジオもそうだし、商店街のラウド・スピーカーでもいいんですけど…。
「そう。そういうんだよ。ほんとソレ。だから暮しさえやっていけるんだったら、そういうのだけで満足だね」
 ―― 大滝さんは実際にそういう、現場に居合わせた事ってないんですか。例えば向うから歩いてきた人が何気なく鼻歌で大滝さんの歌をロづさんでいたとかっていう…。
「あんまりないですね。どーっかの高原へ行った時にスピーカーからジャンジャン流れてて、あんまり面白くないからスグに逃げてきた事はありますけどね。ひでえ音だなって思って(笑)。だから、あんまり現場に居合わせたいとは思わないですね、いろいろと考えたりするのは楽しいけどね

「EACH TIME」という大作をリリースし終えて、今、大滝さんは何をやっているのかというと、これが何とレコーディング。こんな事もおっしゃる。
「“大滝詠一がレコーディングを開始”!なんていうのがニュースにならない位になればいいね。逆に“あの大滝詠一がレコーディングを休んでいる!!”というのがビッグ・ニュースになるようにしたい(笑)」そう。こんなセリフって絶対に他の人からは聞けません。



"EACH TIME"発売記念 大滝詠一クイズ
NIAGARA Miscellanea(閉鎖)アーカイブから(補完)
http://www.t3.rim.or.jp/~t_abe/niagara/


先日(とはいっても,このページを最初に作成した1996年のことです),久々にレコードを整理していたところ,アルバム『EACH TIME』に,『EACH TIME発売記念 大滝詠一クイズ』のハガキが入っているのを発見しました.応募締切は,【昭和59年4月20日当日消印有効】となっています.


★以下のクイズにチャレンジして下さい。
全問正解者は、"大滝詠一研究"の権威として認定され、ナイアガラ・レコードより、コッソリ、素敵なニュースが届きます。どうぞお楽しみに!

●次の各問題を読んでそれぞれあてはまる答えに○印を付けて下さい。

問1 『EACH TIME』のジャケットのイラストは?
A. 永井 博 B. 中山 泰 C. 河田久雄 D. 河村要助

問2 大滝詠一が、一番好きなドラマーは?
A. ハル・ブレイン B. ジム・ゴードン
C. サンディ・ネルソン D. メル・ティラー

問3 ベンチャーズの「十番街の殺人」のオルガンは?
A. ジョー・サンプル B. ジミー・スミス
C. ラリー・ネクテル D. レオン・ラッセル

問4 フィル・スペクターのスタジオの名前は?
A. シルバースター・スタジオ B. スターダスト・スタジオ
C. ゴールドスター・スタジオ D. フィレス・スタジオ

問5 大滝詠一が、嫌いなお菓子は?
A. オセンベ B. 最中 C. チーズケーキ D. チョコレート

問6 シリアポールのお姉さんの名前は?
A. 真理アンヌ B. ポール聖名子 C. 小川ローザ D. エルザ

問7 資生堂“Summer Lotion”のCMソングが亀の一言でたった1回のオン・エアーでオクラになった。その一声とは?
A. カネボウというフレーズが入っている!
B. 生理的に不快な声!
C. 歌詞が聴きとれない!
D. 小林旭に歌わせろ!

問8 大滝詠一の名曲「夢で逢えたら」のカヴァーレコードを出していない人は?
A. 桜田淳子 B. 多岐川裕美 C. 藤真利子 D. 北原佐和子

問9 フリート・ウッズのデビュー曲で No.1 ヒット "Come Softly To Me" の邦題は?
A. 身も心も B. やさしくしてね
C. そっとくちづけを D. ソフトなタッチで

問10 サーフィンの名曲 "Summer Means Fun"を歌っているファンタスティック・バギーズのメンバーは?
A. フィル・エバリーとダニー・ハミルトン
B. アル・クーパーとフランキー・バリー
C. P.F. スローンとスティーブ・バリー
D. ジョニー・リバースとブルース・ジョンストン
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記事編集 [ 2008/02/10 06:56 ] 大滝詠一 | TB(0) | CM(0)
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